2011.03.11**** 東日本大震災 ****

さてもさても、、このような大惨事に遭遇するとは。

2011年3月11日(金)午後2時45分頃。
宮城沖を震源地とし、マグニチュード9.0を記録する地震にみまわれ、東日本の海岸沿いは壊滅的災害を被った。
その第一の要因は、最大高さ6Mを超える大津波によるものだ。
民家が、工場が、学校が損壊し、死者、行方不明者の数は、合わせて1万人とも2万人とも言われている。
今なお、捜索活動は終わっていない。町も村も、港も消滅し、瓦礫だけが残された。。。。。
沢山の尊い命を奪われてしまった方々には、心からご冥福をお祈りしたい。

言葉に言い尽くせぬ惨状が、赤裸々に報道されている。
映像で紹介された生存者達の慟哭は、耳の奥からずっと消えることが無い。

更に、原子力発電所も火力発電所も被災の例外ではなく、福島第一原発では、原子炉損壊や停電による原子炉の暴走が起きている。
起きてはいけない事故が、天災によって引き起こされた。
今まさに、東日本を汚染地域にせぬよう、国の威信をかけて、懸命な処置が施されているのだが、事態は最悪への一途を辿っている。
諸外国の協力無くしては、危機的状態を脱することさえ不可能かも知れない。。。ただただ、科学者の英知を信じ、静かに見守っている。

私の居住地は、高々数百キロ離れているだけだが、甚大な被害を被ることは無かった。
TVで流れるニュースに、心を傷めつつ、今ある自分の幸せに感謝している。。。

今日で震災8日目を迎えた。私の周辺について記しておこうと思い立ち、久々にホームページにアクセスしてみた。
この休眠の期間中は気分が乗らず、更新しようとパソコンに向かっては何度も頓挫した。
なんと、アップロードの方法さえ、忘れてしまっているようだ。。。

さてそろそろ、本題に戻そう・・・か。

電力不足や物流が途絶えたりで、電車は運休、燃料や生活物資の供給がままならず、生活自体が脅かされている。
スーパーの陳列棚には、あれ程並んでいた商品が、全く消失してしまっている。
店は、早々に閉店しシャッターを下ろしているようだ。見方によれば、ここも被災したのかと思えるほどだ。
また、追い討ちをかけるかのように、寒冷前線が列島を南下してきている。
こんな折、避難所や停電生活において、身体を保温するためには、かなりのサバイバル能力が要求されるに違いない。

前述したように、私の居住地は、直接的な大被災は免れた。
しかし、何故か、二次的災害に襲われている。

この地域は、公の交通機関が整備されていないものだから、自家用車か自転車が通勤手段となる。
そこで問題となるのは、ガソリン不足・・・。スタンドは、供給量不足でどこも閉店。
医療機関の端くれであるのに、緊急用車両さえ油糧計は限界だ。頭が痛い話である。
・・・何が、文明国だ!と毒舌を吐きながらも耐えるしかないのである。
被災地に思いを馳せて。

ご近所での、すれ違いざまの話題は、もっぱらどこどこで何が入手出来るか・・・といった情報交換だ。
風評とは、Web情報より周りが早いかも。。
早速得た情報は衝撃だった。規模の大きなスタンドなら、ガソリンが買えるかも知れない。
ただし、早朝から並んで3時間待ちだと。う〜ん、並ぶのかぁ。
徒労に終わるかも知れない、でも・・・。油糧計は厳しい、やはり・・・。
思案の挙句、意を決して家をでた。

さて、最寄のスタンドまで普段通りの道を進んで行くと、確かに前方に車が止まっている。
こんな早朝に並んでいるのだから、きっと思いは一緒なのだろう。私も最後尾についた。
比較的狭い道なので、普段からすれ違いにはとても気を遣っている。
が、これでは、片側を完全に塞いでしまっているではないか。。。
出来る限り車道を空けんと車を左に寄せて止まっていると、犬を連れて散歩をしているおじさんに叱られた。
“通れないよ!”と。確かに、お叱りはごもっとも・・頭を下げて、恐縮する。
かといって、前後を挟まれてしまい抜け出すことも叶わず、苦慮しながらも順番を待つことにした。
と、後方より、一台の軽自動車が逆走してきた。
しかし、運の悪いことに、前方より続々と車が押し寄せ、行く手を阻まれてしまったのだ。
バックは、苦手なのか。しばらく躊躇していたが、何とか脇に寄せてスペースを作った積もりだったのだろう。
実際は、殆ど確保出来ていない。
何度も切り返し、必死に脇に寄せているのがバックミラーに映っている。
出勤時間のせわしさからか、前方の痺れを切らした運転手が、車から降り、目を剥いて怒鳴り始めた。
“さっさと、どかせろよ!!”、また、別の運転手まで便乗してくる。“何やってんのよ!”。。。クラクションが鳴り響いた。

その一部始終を見ながら、私は、胸の痛みを堪えるのが精一杯だった。
ここに居るべきではないと、深く反省した。
マナー違反をしているのは、私を含むこちら側を占領している車たちなのだ。。。
それなのに、如何にもその軽自動車が諸悪の根源のように非難され、
罵声を受け、仕舞いには、その場から立ち退かされてしまったのである。
その人は、この行列には一切関係なかったのだろうに。迷惑千万!と声高に言いたかっただろうに。
それらの罵声は、私たちに向けられるべき刃だったように思う。

マナー違反も、大勢なら正当化されてしまうのだろうか。。。
今回の災難に遭遇しつつも、規律正しい国民などと国際社会から評価されているのは、真に片腹痛しである。
こんな私達が、国際社会に対して、何らかの貢献が出来るのだろうか?悲しいことだが、深く疑問である。

まだまだ、余震や新たな震源とする揺れが頻発し、感覚を麻痺させる。
被災した人達が救済され、一刻も早く正常化した日常を過ごしたい。切に願う。。。
2011.3.19
second roomに戻る  top pageに戻る